家持さんはナゼ高岡へ来たの?


 奈良時代の中ごろ、天平(てんぴょう)18年<西暦(せいれき)746年>に、大伴家持は「越中国守(えっちゅうこくしゅ)」として高岡へ来ました。
 「国守」はその「国」で一番偉(えら)い人でした。

 それから天平勝宝3年<西暦(せいれき)751年>まで滞在していました。
 「少納言(しょうなごん)」という地位(ちい)になって都(みやこ)へ帰って行ったのです。


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