定員:先着120名
※申込は電話・FAXなどで万葉歴史館まで。
※周辺に食堂がありませんので、20日は昼食をご持参ください。
開講式 13:00〜13:20
第1講 13:20〜14:50
越中という異境にあって、宴においても、一人の歌作の場においても、都人としての家持の日常は、歌によって紡ぎ出されようとしている。しかし、越中の春は遅く、立夏には霍公鳥は鳴かない。都と同質の時のめぐりや生活を求めるなかに、家持は越中という異質な土地のもたらす、特異な歌ことばや歌表現と出会ってしまうことになったのではないか。
第2講 15:00〜16:30
巻十七以降の、いわゆる家持「歌日誌」は、いかにして形成されたのか。出来上がった後からそれを窺うのは至難のわざであって、推測は推測にとどまるだろう。しかし一つだけ明らかなのは、それが自ずから蓄積されたものなどではない、ということである。それは古今に例を見ない、ユニークな歌集の形態であり、家持の自覚的に選び取ったかたちなのである。その前史をたどることから、「歌日誌」の本質にアプローチしてみたい。
第3講 9:30〜11:00
家持は越中時代において、彼の文学的完成を遂げたことが知られる。家持の優れた作品の多くが越中時代に詠まれていることから理解できる。この越中時代に家持が歌学びを意識したことは「山柿の門」の言葉から知られるが、この山柿が過去のどの歌人たちを指すのかが今日の論議の中心となっているが、むしろ、山柿が誰かという問題よりも、山柿を通して家持の目指した文学とは何であったのかを考えるべきであろうと思われる。
第4講 11:10〜12:40
家持の作品中、年代のわかるもので最初の歌は、巻六の994番歌といわれてきた。巻六の配列から天平5年作の976番から995番歌中にこの歌があるからである。しかし、巻八にある1441番、1446番の家持歌は、天平4年3月1日以前作と推定できるし、同じ巻八の1448番歌は、天平4年閏3月以前作と推定できる。こうした初期作品(天平4・5年頃)と思われる家持歌について述べてみたい。
第5講 13:30〜15:00
家持のいわゆる春愁三首を家持の絶唱と評価するようになったのは近年のことである。大正年間に窪田空穂がこの3首を家持の代表作の筆頭に置いていることも忘れられていた。のちに山本健吉は「万葉の抒情は、家持に到って心理的な細みの精髄を掴み出すことに成功した」と評し、川口常孝は「描くという意識なしに外界が造型された、いわば理念歌の最奥所を示す」とまで言う。その後、漢籍の翻案に過ぎず観念的な作だとする説、恋の憂情と読む説、また春への讃歌とする説なども出て、驚いている。
高岡市万葉歴史館
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