万葉集のみならず和歌史を代表し、ひいては日本文学史をも代表する柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)は、天武朝に活動をはじめ、平城京遷都を見ずに亡くなったと考えられている。その柿本人麻呂が、「宮廷歌人」などと呼ばれるように諸皇子に献呈歌を捧げたり、行幸に従駕して公の場で歌を詠むのは、持統朝のことである。
 持統朝とは、日本最初の都城である藤原京が営まれた時代でもある。柿本人麻呂は、藤原京の建設を目にし、そこで生活したであろう。
 昨年の「大和三輪山幻視行(やまとみわやまげんしこう)」では、「巻向(まきむく)」における柿本人麻呂の初期の活動を取り上げたが、本年は人麻呂の最盛期に焦点をしぼり、人麻呂はどのような時代の中を生きていたのかをさぐりたい。
 また、柿本人麻呂は、平安時代以降「歌の聖(神)」として崇められていくこととなる。その最も顕著な例として「人麿影供(ひとまろえいぐ)」について、当館所蔵品を用いて解説したい。
















●柿本人麻呂とは
  ・人麻呂について
  ・内山家所蔵の人丸神像について

●歌神(かしん)となった人麻呂
  ・「人麿影供」とは何か    
  ・人麻呂の後世に与えた影響

●藤原京の生活
  ・出土木簡  
  ・人麻呂の歌/文字を表記すること
  ・出土瓦
  ・市で売られていた品々
   (櫛・独楽・釘など)
  ・和同開珎の差し銭

●井上博道のえがく藤原京の世界
  ・奈良在住の写真家
    井上博道氏の藤原京関連の風景写真

 



 記念講演会 「万葉の都 藤原京の謎を掘る」
 

 期  日 平成13年4月29日(日)
 講演時間 午後1時30分〜3時
 講師 黒崎 直 氏(奈良文化財研究所文化遺産調査部長)

 ※申し込みは電話等で万葉歴史館まで

─講演要旨─

高耀る藤原京の謎を掘る!

藤原京は、最近の調査研究によって、
一辺5kmを超える大規模な方形の京域をもち、
その中心に方1kmの宮が位置することが判明した。
中国でも例を見ない理想的な都の形が、
なぜ日本最初の本格的な都・藤原京に採用されたのか?
壬申の乱を勝った天武・持統朝が目指した新しい国づくりとは?
万葉集の舞台でもあった藤原京での人々の暮らしぶりは?
そしてなぜ16年という短命な都に終わったのか?
これら藤原京をめぐる謎を、発掘現場から考えてみよう。


黒崎直(くろさき・ただし)氏 プロフィール
 平城宮跡、飛鳥藤原宮跡などの発掘調査に長年従事。文化庁記念物課文化財調査官、飛鳥藤原宮跡発掘調査部考古第一調査室長を経て同発掘調査部長。平成13年4月より独立行政法人文化財研究所・奈良文化財研究所文化遺産調査部長。
 古代の都城、農具を中心とした古代の農業、トイレ遺構などの研究で有名。
 主要著書:「藤原京の便所(トイレ)遺構」、『古代の農具』(編著)など。



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