2002夏季高岡万葉セミナー

万葉びとの恋T

万葉びとの“恋”の諸相を読み解く

平成14年8月24日(土)〜25日(日)


会場:高岡市万葉歴史館/講義室
受講料:全日2500円(学生は1000円)
(原則として2日間の受講に限ります)


定員:先着120名

※申込は電話・FAX・電子メールなどで万葉歴史館まで。
※周辺に食堂がありませんので、25日は昼食をご持参ください。

※富山県民カレッジに連携されている方は、
夏季高岡万葉セミナーと秋季高岡万葉セミナーの両方を受講されると単位になります。






第1日 8月24日(土)



開講式(13:10〜13:20)

第1講(13:20〜14:50) 

「相聞の表現」  講師:加藤静雄(同朋大学名誉教授)

 古今東西、愛の心を表現することに人々は苦しんできた。深い愛の心を「言葉」に寄せて表現することは至難の業である。万葉びとも様々に募らせた思いを歌ってきた。ここでは都の貴族の恋心と、鄙の人々の愛の心の表現を比較することを中心にしていくつかの歌を読み、その在り方がどのように異なっていたのか。その心の底にあった思いがどのようなものであったのか、万葉びとの生活をみながら探ってみたい。

第2講(15:00〜16:30)
「女の相聞」  講師:森朝男(フェリス女学院大学教授)


 『万葉集』の相聞では、はじめ男と女の詠み方にあまり差がなかったとみたほうがよいと思います。律令官人層の形成過程で、男たちに「丈夫(ますらを)は公ごと優先、恋は私ごと」とする意識ができると、替って恋は女の引き受けるものになります。そこに女の相聞が嘆きの歌として始まります。恋はなぜそのように遠ざけられたり、くい違ったり、ままならないものに表現されるのか、恋の奥底に潜むタブーのことから考えてみましょう。

第2日 8月25日(日)


第3講(9:30〜11:00)
「古代の占い、祭り、信仰」  講師:和田萃(京都教育大学教授)


 日本古代における占い、祭り、信仰について、『万葉集』や呪符木簡を用いて解明する。道と道の交わるチマタ(衢)では、三輪山の麓の海石榴市(つばいち)のチマタでみられたように、歌垣が行なわれ、定期的に市が立った。また夕暮時のチマタでは夕占(ゆうけ)が行なわれ、都では六月、十二月の晦日の夕暮、鎮火祭・道饗祭(みちあえさい)や大祓が執り行なわれた。歌垣は恋愛の場でもあり、恋愛の呪術や民俗も多彩。呪符木簡には道教的信仰が色濃くある。古代の人々を引き付けた道教的信仰についても語りたい。

第4講(11:10〜12:40)
「男の相聞 男の文学」    講師:針原孝之(二松学舎大学教授)



 「相聞歌はあくまで〈女の文学〉であった」と述べたのは伊藤博氏であった。相聞は男から女へ、あるいは 女から男への歌が普通であるが、男から男へ、女から女への歌があっても不思議ではない。なぜなら相聞の原義は、お互いに相手の安否を問いたずねる歌であるからだ。私どもは相聞歌を読む時、実作であるか虚構であるかを考えねばならないだろう。また、歌の内容については怨恨、焦慮、哀願、嫉妬、詰問などいろいろな感情が歌われている。こうした歌は多く女性にみられ、男にすがって生きていく姿が理解できるのである。人麻呂、旅人、赤人、家持、池主など男歌の相聞について話をする。


第5講(13:30〜15:00)
「相聞の本質」  講師:青木生子(日本女子大学名誉教授)


 万葉の三大部立ての一つ「相聞」は、和歌史上、万葉以前、以降にも絶えてない万葉にのみ固有な名目である。恋歌・思歌・恋愛歌といった代表的分類項目になりえない独自な意味合いと内容価値を帯びている。「挽歌」に対し、生ける人間(相手)によせるさまざまな私情の歌の総題に、「相聞」こそふさわしいものであることを、万葉的な人間や万葉的な愛の独自性としてとらえてみたい。





予告

2002秋季高岡万葉セミナー
テーマ「万葉びとの恋U」

日時:平成14年10月27日(日) 会場:高岡市万葉歴史館/講義室
講師:服藤早苗(埼玉学園大学教授)・河野裕子(歌人)



高岡市万葉歴史館 
〒933−0116 高岡市伏木一宮1−11−11
TEL:0766−44−5511 FAX:0766−44−7335
E-Mail:manreki1@p1.tcnet.ne.jp


学生の方は高岡市自然休養村に学割料金で宿泊できます
問い合せ先:高岡市自然休養村公社アッパレハウス 電話 0766−44−6800