文字と出会った万葉びとはそれを用いてどう書いたのでしょうか。
万葉びとの文字の世界に創意と工夫の跡をたどります。
『万葉集』の文字・表記は当時においてどのような位置にあるものだったか。当時の人々は皆いつも『万葉集』と同じような漢字を使い、同じように訓読みし、万葉仮名として用いていたのか否か。この問題に、近年、回答がもたらされつつある。出土資料上の文字・表記と比較すると、『万葉集』のそれは、文字の表現のための特殊なものであったことがわかる。家持ら万葉びとも、普段は、もっと簡素、かつ緩い体系の文字・表記を行っていたであろう。
古代日本における文字世界の特質を明らかにするためには、つぎの3つの課題があげられる。
1 7世紀から9世紀の文字・文書の変遷
2 紙と木の関係
3 文書と口頭の関係
これらの課題は、正倉院文書や全国各地の発掘調査で出土した文字資料(木簡・漆紙文書・墨書土器など)の検討によって、はじめて解決することができるであろう。特に、近年発見の相次いでいる日本海沿岸の潟(かた)や河川・官道・駅家周辺で発見された文字資料に注目し、大伴家持をとりまく文字世界を描いてみたい。