家持さんはどんな生活をしていたの?


 家持さんは越中国の国守(こくしゅ)だったので、今の県庁(けんちょう)にあたる「国庁(こくちょう)」の付近(ふきん)に住(す)んでいました。

 家持さんが来たころの越中の国庁は、いまの伏木(ふしき)にある「勝興寺(しょうこうじ)」のあたりにありました。家持が住んだ国守の住宅(じゅうたく)は、その勝興寺そばの伏木測候所(ふしきそっこうじょ)あたりにあったと考(かんが)えられています。

 お寺や神社のお祭りにも参加(さんか)したり、戸籍(こせき)や土地台帳(とちだいちょう)などを作らせたり、農業などがうまくいっているか調べたりなどもしていました。
 さらには、兵士(へいし)を集めたり、税金(ぜいきん)を集める仕事もあったようです。

 国守は、いまの知事(ちじ)に警察署長(けいさつしょちょう)・消防署長(しょうぼうしょちょう)・税務署長(ぜいむしょちょう)・裁判官(さいばんかん)などの仕事(しごと)をこなす、たいへん忙(いそが)しい職業(しょくぎょう)だったようです。


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