先日、奈良市の西大寺旧境内で、唐から渡来した皇甫東朝の名前を記した墨書土器が見つかったニュースが流れました。
この皇甫東朝なる人物、『続日本紀』によれば、宝亀元年(770)12月に越中介(えっちゅうのすけ)として、今の富山県に赴任しているのです。越中介は、今でいうところの富山県副知事のような職。前任の越中介は国見安曇で、大伴家持が越中国守をしていた頃(746?751)から、20年ほど後のお話です。
ちなみに、皇甫東朝の上司である越中国守は、敏達天皇の後裔の甘南備伊香(かんなびのいかご、伊香王)という人物でした(宝亀3年〈772〉からは石川真守)。伊香は、天平宝字2年(758)2月に中臣清麻呂の家で行われた宴で、大伴家持と同席しており、その時の歌が万葉集にも残っています。
はしきよし 今日の主人(あろじ)は 磯松の 常にいまさね 今も見るごと
(巻二十・4498・大伴家持)
梅の花 咲き散る春の 長き日を 見れども飽かぬ 磯にもあるかも
(4502・甘南備伊香)
大伴家持が因幡国に左遷される数ヶ月前の出来事です。
奈良新聞
http://www.nara-np.co.jp/20100409102203.html