2日目、まずは海南市の藤白神社へ。
悲劇の皇子、有間皇子ゆかりの地です。神社には「藤白の み坂を越ゆと 白たへの わが衣手は 濡れにけるかも(巻九・1675)」があり、熊野古道の藤白坂には有間皇子の墓と佐佐木信綱揮毫の「家にあれば 笥に盛る飯を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る(巻二・142)」歌碑もありました。
ここで予定が1時間遅れとなったため、日の岬・三穂の浦をカットして由良町の白崎海洋公園に向かいました。全体が白い石灰岩で囲まれていて、青い海と氷山のような白い岩、紺碧の晴天に恵まれてのコントラストは日本渚百選の一つにふさわしい美しさでした。
最後の万葉歌碑は、「足代過ぎて 糸鹿の山に 桜花 散らずもあらなむ 帰り来るまで(巻七・1212)」を、有田市の糸我山麓にある雲雀山得正寺に訪ねました。犬養孝名誉館長の揮毫によるものでした。
ここからは紀ノ川SAで土産を購入し、近鉄奈良駅で坂本館長含む3人に別れを告げて、長い紀伊国の万葉故地めぐりを終えました。
万葉歴史館に到着したのは、午後10時10分でした。
(万葉を愛する会 幸塚憲昭氏の記録からまとめさせていただきました。ありがとうございました。)
参加者のみなさま、長距離のバスツアーお疲れさまでした。