定員:先着120名
※申込は電話・FAX・電子メールなどで万葉歴史館まで。
※周辺に食堂がありませんので、20日は昼食をご持参ください。
※富山県民カレッジに連携されている方は、
夏季高岡万葉セミナーと秋季高岡万葉セミナーの両方を受講されると単位になります。
開講式 13:00〜13:20
第1講 13:20〜14:50
聖武天皇の子、安積親王をめぐる諸問題について、王権論の立場から聖武朝政治史全体の中で再検討する。とりわけ長屋王の変以降における王族たちに対する処遇の変化に注目する。安積親王の死について、藤原仲麻呂のよる暗殺説が通説化しているように、これまで聖武朝の政治史は、藤原氏を主語として語られ、その陰謀的な活動が強調されてきた。こうした見方を聖武天皇を中心とする王権強化の流れの中で再検討してみたい。
第2講 15:00〜16:30
大伴家持の防人歌採録の背景に対する言及は、家持が兵部少輔に任官したことと、社会体制が氏族社会から律令社会に移行し、軍事氏族の家柄にあった家持が律令官人として苦悩し、理念としてかかげた「ますらを意識」とが中心になって展開されてきた。
しかし、防人歌採録の背景はそれだけではなさそうである。家持が防人を題材に詠出し、防人歌群中に配列した歌を中心に、その採録意識や基軸にある文学観を確認してみたい。
第3講 9:30〜11:00
大伴家持の天平18年から5年間の越中在任。
そこでは、国守家持と池主をはじめとする下寮らとの交流があった。また、田辺福麻呂らの、みやこ平城京から訪れる人との交渉があった。さらには、故郷平城京に残る身内の人々との交信もあった。家持はそれらの人々とどう関わりを持ったのか。
越中時代での家持とその周辺の人々について考えてみたい。
第4講 11:10〜12:40
『万葉集』に473首もの歌を残している大伴家持に相聞贈答の歌や宴席歌が多いことはいうまでもないが、家持自身がその作品を万葉歌巻に記し留める立場にあったことも幸いして、春愁絶唱3首をはじめ多数の独詠歌が伝えられている。それらは、家持の折々の心境を示すと同時に、家持にとって歌がどのようなものであったかを伝えてもいる。越中赴任前・越中時代・帰京後の3期から問題の多い独詠歌を取り上げて論じたい。
第5講 13:30〜15:00
家持はどこで亡くなったのだろうか。陸奥按察使鎮守府将軍であっても中納言兼東宮大夫という政府の高官であるから、都で亡くなったと思われるのに、一般には多賀城説が有力である。新たに秋田城説も出された。奈良か、多賀城か、はたまた秋田城か、家持はどこで最期を迎えたのであろうか。
高岡市万葉歴史館
〒933−0116 高岡市伏木一宮1−11−11
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学生の方は高岡市自然休養村に学割料金で宿泊できます
問い合せ先:高岡市自然休養村公社アッパレハウス 電話
0766−44−6800
2001秋季高岡万葉セミナー
テーマ「万葉びとと信仰」
日時:平成13年10月28日(日)
会場:高岡市万葉歴史館/講義室
講師:新川登亀男(早稲田大学教授)・山折哲雄(国際日本文化研究センター所長)