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■■■■■■■ 第1日 8月24日(土) ■■■■■■■
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開講式(13:10〜13:20) |
第1講(13:20〜14:50)「磐姫皇后像の形成」
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記紀の世界で、仁徳天皇は前代を代表する偉大な帝王として造型されている。一方、皇后磐姫は、きわめて嫉妬深い女として描かれている。つよい情念をもつ女を妻にすることが、古代の帝王の大切な資格の一つだった。万葉集の仁徳を思う磐姫の歌にも、その激しい行動性の一端がほの見えている。そうした磐姫像の形成はいかにしてなされたのか。そのあたりを中心に、お話をすすめていきたい |
第2講(15:00〜16:30)
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皇極(斉明)期は乙巳の変、大化改新、白村江の戦いなど激動の時代であった。古都飛鳥では平成12年正月、亀形石造物を中心とする遺構が出土し、酒船石のある丘陵を囲んで塁々とした石垣が検出され、この遺構が斉明紀2年の両槻宮(天宮)の可能性が浮上してきた。一方、大井戸のある飛鳥宮跡は飛鳥浄御原宮跡と考えられることから、斉明天皇の後飛鳥岡本宮の位置も検討されつつある。 |
■■■■■■■ 第2日 8月25日(日) ■■■■■■■ |
第3講(9:30〜11:00)
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持統天皇は天智天皇の第2皇女、母は蘇我遠智娘、大海人皇子(後の天武天皇)の妃となる。壬申の乱後、夫の天武は即位し、皇后となる。天武在位の14年間、よく夫を助け、唐風の文物制度を学び摂取し、その後を受けた持統在位11年8ヶ月間それを進めた。大和三山の間に、藤原宮を建設した。唐風の端正な都であった(遺跡から推定)。『万葉集』に御製和歌6首が残る。同時代貴族のすぐれた和歌も『万葉集』に多く残る。 |
第4講(11:10〜12:40)
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25歳で崩御した文武天皇の後を承けて即位した元明天皇とその後に続く元正天皇とは、母と娘。共に、文武天皇の崩御時に僅か7歳であった首皇子(後の聖武天皇)の成長を待っての在位であった。とはいえ、平城に遷都し、記紀を完成させ、律令の励行を促すなど、優れた業績をあげる傍ら、万葉集に歌を残している。在位期間の前後を含めて、両天皇の足跡をうかがい、歌と関わって、その志を探りたい。 |
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万葉時代後期は平城遷都に始まる。この時、未来の光明皇后は10歳の少女だった。幼にして聡く賢く、その声名は知れわたっていたという。16歳で皇太子妃に選ばれ、18歳で第一子阿倍内親王、のちの孝謙女帝を生んだ。万葉集に光明皇后の聖武天皇に奉った歌「わが背子と二人見ませばいくばくかこの降る雪の嬉しからまし」がある。なんと心やさしい歌だろう。光明皇后と孝謙女帝、類い稀な存在である二人の、歌とその生涯を探ってみたい。 |
2003秋季高岡万葉セミナー
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