高岡市万葉歴史館
高岡万葉セミナーの講演録
2004夏季高岡万葉セミナー
悲劇の皇子・皇女T
熾烈な政争から生まれた悲劇
激しい恋から生まれた悲劇
波乱の人生に生きた皇子・皇女の人間像と歌を探る

満員御礼
定員に達したため、申込みを終了しました

平成16年8月21日(土)〜22日(日)

会場:高岡市万葉歴史館/講義室

受講料:2日間2,500円(学生は1,000円
原則として2日間の受講に限ります
定員:先着120名
申し込みは電話・FAXなどで万葉歴史館まで
周辺に食堂はありませんので、25日は昼食をご持参ください。



■第1日 8月21日(土)■

開講式(13:10〜13:20)

第1講(13:20〜14:50)

「有間皇子自傷歌を考える」 

講師:大浦誠士(椙山女学園大学助教授)

 万葉集の巻二「挽歌」部の冒頭には、斉明四年に謀反の罪で捉えられ藤白坂で十九年の短い人生を終えた有間皇子の「自傷」の歌が二首収められている。この二首の歌をめぐっては、皇子の実作か後人の仮託の作かを中心として、歌の表現の問題が様々に論じられてきた。今回の講義では、近年の初期万葉研究の動向の中での皇子の歌の位置付けと、旅の歌の表現一般の中での皇子の歌の表現のあり方について話したい。

第2講(15:00〜16:30)

「掘り返す痛み─大伯皇女の大津皇子哀悼歌をめぐって」

講師:品田悦一(東京大学大学院助教授)

 大津皇子の屍が二上山に移葬されたとき、大伯皇女が詠じた歌「うつそみの人にある吾や……」(巻二・一六五)について考えたい。とびきりの名歌だが、解釈上いくつか問題がある。特に、斎藤茂吉『万葉秀歌』以来、「諦念の如き心境」を読みとることが一般化しているが、これは誤りだろうと思う。弟のいない世界を、作者はとうてい甘受できなかったのである。問題は、移葬の事情と時期をどう想定するか、という点にも及んでくる。

■第2日 8月22日(日)■

第3講(9:30〜11:00)

人麻呂挽歌の皇子女像

講師:平舘英子(日本女子大学教授)

 柿本人麻呂は日並皇子・高市皇子・明日香皇女の三人の皇子女に対して、「殯宮之時」作歌とする挽歌を詠んでいる。いずれも長歌と反歌とからなる整った形式を持つ作品で、三人は、皇統の継承者としての日並皇子、壬申の乱の功労者としての高市皇子、そして夫君との愛の日々を歌われる明日香皇女と歌い分けられて悼まれている。人麻呂の「殯宮之時」挽歌のそれぞれの表現の方法を検討しながら、挽歌中の三人の皇子女像を探りたい。
第4講(11:10〜12:40)

「十市皇女と但馬皇女─皇子が哀切な挽歌をよせた皇女─」

講師:青木生子(日本女子大学名誉教授)

 数多い天武天皇の皇子・皇女の中で、一人は、額田王の娘で万葉に作品を残さなくして、忘れがたいイメージを放つ十市皇女。一人は、世をはばかる恋を貫き通す情熱を幾首にも歌いきった但馬皇女。
 二人は、皇子たちからそれぞれ哀切な挽歌をよせられた皇女である。これら皇子(女)の人間像、およびその歌々のすがたを探ってみたい。
第5講(13:30〜15:00)

「巫(ふ)の家の人大伴家持と安積皇子挽歌」

講師:山口博(聖徳大学教授)

 古代では武と巫は一体であり、武人の家大伴氏は、巫術の家でもあった。祖神道臣命は神武東征中に変性斎主を勤め、即位には密策を受け諷歌倒語で妖気を払う。坂上郎女は結界を設けて祖神の憑依を祈り、家持も巫女に化した鷹の夢中出現という巫的な歌を詠む。巫の人は氏族の伝承をも語る。大嘗祭で語部の引率役は大伴氏であった。このような巫の家の人としての挽歌制作と考えられようか。

(予告)2004秋季高岡万葉セミナー
テーマ「悲劇の皇子・皇女2」

日時:平成16年10月31日(日) 会場:高岡市万葉歴史館/講義室
講師:金井清一(京都産業大学名誉教授)・大山誠一(中部大学教授)



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