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万葉植物〜あじさい〜


 夏の庭 

あじさい

万葉歴史館遊歩道にて 2007.07.30)
あじさいは6〜7月に花を咲かせる日本原産のアジサイ科の植物である。
日本古来のあじさいはガクアジサイで、現在一般的に見られる球状のものは、西洋アジサイである。
和名「アジサイ」の「アジ」は「アツ」で集まること、「サイ」は真藍(さあい)からきていて、青い花が集まって咲くこと、すなわち集真藍(あづさあゐ)に由来しているという。
万葉集の表記では「味狭藍」「安治佐為」となっている。
現在使われている「紫陽花」という字は唐の詩人、白楽天の詩中より平安時代の学者であり三十六歌仙でもある源順が用いたことから広まったとられたと考えられている。
味狭藍(あぢさゐ) 八重(やえ)咲く如く
         
八つ代(やつよ)にを

いませわが背
(せこ)子 見つつ偲ばむ

    
橘諸兄(巻二十 四四四八

あじさいが幾重にも群がって咲くように、変わりなくいつまでもお健やかで居て下さい。
私はこの花を見るたびにあなたを思い出しましょう。

この歌は天平勝宝七(755)年五月十一日に、右大弁丹比真人国人の家で、左大臣橘諸兄(684−757)を招いて宴を催したとき、諸兄が主人国人を祝って詠んだ歌である。あじさいの豊かな花のように、またつぎつぎ色を変えて長く咲き誇るようにと国人を祝って詠んでいる。
作者、橘宿禰諸兄(たちばなのすくねもろえ)はもともと葛城王(かつらぎのおおきみ)と称していたが、後に母方の橘宿禰を継ぐことを請い、許され改名する。天平9(737)年の疫病により四子が次々と亡くなると、大納言に昇進する。
以後、大きく政治に携わっていくが、天平17(745)年の遷都計画が失敗に終わると、次第に実権を藤原仲麻呂にうばわれてゆく。この歌を詠んだ翌年二月、宴席で上皇を誹謗したと、側近に密告され、この責を負って諸兄は政界を離れた。
夏の庭のあじさい 
(万葉歴史館夏の庭にて 2007.07.30)
(こと)問はむ 
木すら安治佐為
(あぢさゐ)  
諸弟
(もろと)らが
(ねり)の村戸(むらと)に    
あざむかえけ

    大伴家持(巻四 七七三)


物言わぬ木でさえ、あじさいのような移変わりやすいものがあります。
諸弟らの巧みな言葉に私は騙されました。
遷都により恭仁京にいた大伴家持が、平城京にいる坂上大嬢(さかのうえのおおおとめ)に送った五首のうちのひとつ。「諸弟」「練」「村戸」などの言葉の解釈が定まっていないため、難解である。
ただ、この前後に載せられている歌(四−七七二、七七四)を見ると、二人の仲はあまり上手くいっていなかった時期のようだ。「あざむかえけり」とあるので、大嬢を責めていることが知られる。後に家持はこの坂上大嬢を妻に迎える。
あじさいの花期は非常に長く、クリーム色から淡い紫、濃い紫など、花の色が次々と変わることから七変化(しちへんげ)という別名をもつ。あじさいを読み込んだ歌は万葉集にはこの二首のみである。
上記の橘諸兄の詠んだ歌は祝いの歌ではあるけれども政治家としては苦しい状況にあったときに、また家持の歌は明らかにあじさいを良い意味で使ってはいない。

桜のように命の短い花を好んだ人々には、梅雨時に長く咲き色が移ろい行くあじさいはあまり好まれなかったのだろうか。現代でもあじさいには「移り気」「心変わり」という花言葉がある。

※このページは2007年館務実習生Kさん(立命館大学学生)が作成しました。