高岡市万葉歴史館所トップページ ─ 四季の庭

夏の庭の万葉植物 ヤマユリ

さ百合花 ゆりも逢はむ と思へこそ
  今のまさかも うるわしみすれ    

   
大伴家持 (巻十八 4088)

         
 
万葉植物 ヤマユリ

○現代語訳


  後にまた逢おうと思えばこそ
  今この現実に逢っている時をも大切にし
  そなたを大事にいとしく思う

   越中の国司の館に諸官人が集まって宴会をした時、
   主の秦伊美吉石竹(はたのいみきいわたけ)が百合の花蔓(はなかずら)を来客に捧げた。
   それに対し来客の一人であった大伴家持が作ったもので、
   現実に女性に対して詠んだものではない。

○万葉植物 ゆり【ユリ=ユリ科】


 山野に自生するゆり科の宿根草。地下の鱗茎を食用とした。
 日本のユリの種類は多く、数十種類にものぼる。
 その中で万葉人が目にしたであろうと想像されるのはヤマユリ、 ササユリの二種。
 ヤマユリは北海道から近畿地方の山地に生え、草丈は約1メートル。
 夏に白い花びらに赤褐色の斑点のある六弁の花を開く。
 ササユリは本州中部から九州の山地に生え、草丈は80 センチ前後。
 夏に淡紅色で美しい花が茎の先端に二、三輪咲く。
 奈良県本子守町にある率川神社で毎年六月十七日に催される三枝祭りの主役には、
 奈良県の三輪山に産するササユリが用いられる。
 ゆりというに語には「後 ゆり」という意味があり、万葉集には
 「さ百合花」の後に「ゆり」を用いることで、同音としての関係を示すだけでなく、
 歌の情景をいっそう深めている歌が他にも見られる。
 
  
万葉植物 ヤマユリと 奈良・越中の石碑
 

○作者 大伴家持



大伴旅人(おおとものたびと)の長男。天平十七(745)年従五位下。翌年越中守として赴任し、天平勝宝三(751)年少納言として帰京。同六年兵部少補となり、さらに兵部大補、右中弁を歴任。天平宝字二(758)年因幡守となる。その後信部大補・薩摩守・大宰少弐・中務大補・左京大夫・衛門督・参議・左大弁兼東宮大夫などを歴任。一時左遷されたが間もなく復帰し、持征東将軍となり、延暦四(785)年中納言従三位で没した。六十八歳。一説に六十四歳とする。万葉集の最終編集者として自らも歌を残した。特に越中在住の五年間には227首もの数を残しており、越中の歴史や文学に深く関わっている人物である。

※このページは2007年館務実習生Hさん(京都府立大学学生)が作成しました。