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しなざかる越(こし)

越中国守として赴任してきた家持は、
ミヤコを遠く離れた越中を「天離る鄙(あまざかるひな)」「しな離る越」と 詠みました。
「天」はミヤコをさし、「離る」は遠く離れていることを意味します。
越中の風土は、ミヤコと異なるヒナ、つまり 異郷であり、
家持がミヤコへの思慕を募らせていたことがうかがうことができます。


しなざかる 越に五年(いつとせ) 住み住みて 立ち別れまく 惜しき夕かも

(巻19−4250・大伴家持)



現代語訳

遠く離れた越の国(越中)に五年間住み続けて、今こうして別れなければならないことの、なんと惜しい宵であることか。




少納言となって都へもどることとなった家持が、餞別のうたげで詠んだ歌です。
当時の官人も定期的に異動がありましたが、地方官から地方官へということもありうるわけなので、
都へもどれることになった家持は、どんなに喜んだことでしょう。

歌碑
-倶利伽羅源平ライン-


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