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越中国の名がでてくる荷札木簡(複製)平城宮跡出土 奈良時代(8世紀)前半 |
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木片に墨で書いた伝達文書・帳簿・貢進物につけた荷札などを木簡といいます。 展示しているのは荷札木簡といい、越中国から平城宮へ税として送った産物の荷札です。 |
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(表) 越中国利波郡川上里鮒雑 (裏) ■一斗五升、和銅三年正月十四日 ■…「月昔」(きたひ)という字です
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川上里(小矢部川上流の福野・福光・井波・城端付近)から雑税として送った鮒の干肉1斗5升につけてあった荷札です。この木簡の日付け、和銅3年(710)正月時の都は藤原京でしたが、この年の3月に都は平城京に移っており、この木簡はその平城宮跡で発見されています。送る途中で、新しい都へ送ることに、行先がかわったのでしょう。 |
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(表)越中国羽咋郡中男作物鯖壱伯隻 (裏) 天平十八年廣椅 「大庭」(別筆)
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天平18年(746)、つまり大伴家持が越中守として着任した年に、羽咋郡の中男が産物の鯖100本を税として、平城宮に送ったときの荷札です。 羽咋郡は能登半島の一部で現在は石川県内ですが、天平13年(741)から天平宝字元年(757)までの16年間だけは、能登国4郡が越中国に合併されていたので、天平18年のこの木簡には、「越中国羽咋郡」と書いています。 中男作物とは、17〜20才の男子が租税として納める産物のことです。 |
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