馬並(な)めて いざ打ち行かな 渋谿(しぶたに)の   清き磯廻(いそま)に 寄する波見に

 (巻17−3954・大伴家持)

渋谿の 崎の荒磯に 寄する波 いやしくしくに 古(いにしへ)思ほゆ

 (巻19−3986・大伴家持)


現代語訳

1首目・馬を並べてさあ出かけようじゃないか。渋谿(現雨晴海岸)の清らかな磯に打ち寄せているその波を見るために。

2首目・渋谿の崎(現雨晴海岸)の荒磯に、寄せる波のように、なおもしきりに、昔が思われる。


雨晴海岸



現在は、JR氷見線や国道の開通によってだいぶ楽になった、伏木から氷見への道ですが、

松尾芭蕉が立ち寄った 頃でさえ、人のめったに通わぬ険しいだったようです。

「渋谿」は、その道の途中にあたり、二上山の山裾が海岸に落ち込んで、

日本海の荒波に洗われた数々の奇岩がそ そり立つ景勝奇岩の地です。

そして、その先には白い砂と緑の松林の松田江浜が続いています。

大和盆地に育った家持にとって、この景観は鮮烈なものだったと思われます。

ただし「渋谿」の地自体は、中世に奥州へ落ちのびる義経・弁慶主従がここの岩陰で雨宿りしたという伝説の方が 有名で、

現在もその伝説から「雨晴海岸(あまはらしかいがん)」と呼ばれています。


-雨晴海岸より見る雌岩-
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