(巻17−3954・大伴家持)
渋谿の 崎の荒磯に 寄する波 いやしくしくに 古(いにしへ)思ほゆ
(巻19−3986・大伴家持)
1首目・馬を並べてさあ出かけようじゃないか。渋谿(現雨晴海岸)の清らかな磯に打ち寄せているその波を見るために。
2首目・渋谿の崎(現雨晴海岸)の荒磯に、寄せる波のように、なおもしきりに、昔が思われる。
大和盆地に育った家持にとって、この景観は鮮烈なものだったと思われます。
ただし「渋谿」の地自体は、中世に奥州へ落ちのびる義経・弁慶主従がここの岩陰で雨宿りしたという伝説の方が 有名で、
現在もその伝説から「雨晴海岸(あまはらしかいがん)」と呼ばれています。