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高岡万葉セミナーの講演録
初期万葉にあって、ひときわ光彩を放つ遊宴の花・額田王。その波乱にとんだ人生を歌を通じて探る

平成17年8月27日(土)〜28日(日)

会場:高岡市万葉歴史館/講義室

受講料:2日間2500円(学生は1000円
原則として2日間の受講に限ります
定員:先着120名
申し込みは電話・FAXなどで万葉歴史館まで
※周辺に食堂がありませんので、25日は昼食をご持参ください。
富山県民生涯学習カレッジ連携講座です。

 8月27日(土) 

開講式(13:10〜13:20)

第1講(13:20〜14:50)

初期万葉の世界
講師:梶川信行(日本大学教授)

 従来、「初期万葉」の世界は、舒明朝から天武朝(あるいは壬申の乱)までのヤマトウタの世界の実態として捉えられて来た。しかし、とりわけ巻一・巻二に収録された「初期万葉」の世界は、7世紀のヤマトウタの歴史を我々に伝えているのではなく、8世紀に生きた編者と左注者の価値観と歴史認識を反映しているに過ぎない。「初期万葉」の世界を「古代和歌史」の一時期としてではなく、「万葉史」の一時期として捉え直してみたい。

第2講(15:00〜16:30)

「歴史」の証言者・額田 −その出自と経歴−
講師:小川靖彦(青山学院大学助教授)

 額田王の出自に関する史料は極めて限られているが、「額田」という名に注目するならば、王が蘇我氏系王族の一員であり、皇極天皇の母方が蘇我氏系王族であった縁で天皇の後宮に出仕した可能性が考えられる。額田王の経歴は不明である。しかし、『萬葉集』という「書物」は、額田王に皇極・斉明朝と天智朝、天智朝と天武朝を繋ぐ「歴史」の証言者という役割を演じさせている。「書物」が創る歌人像という視点からその経歴を再検討したい。

 8月28日(日) ● 

第3講(9:30〜11:00)
   
百済救援の役 −7世紀後半の日本と東アジア−
講師:鈴木靖民(國學院大學教授)

 7世紀前半以来、東アジアの国際関係は緊迫していた。660年、唐と新羅が攻めて百済は滅んだ。百済と提携する倭(日本)は遺臣の求めに答えて救援を決めた。661,663年の二度の出兵は高句麗との共同作戦に失敗し、唐と百済の大軍の前に屈した。敗戦後、倭では防衛と国内整備に転じ、内政改革の結果、唐風の天皇制日本国家へと歩みを進める。百済に代わって新羅からの文化受容に努めたことも新たな動きであった。
第4講(11:10〜12:40)

第4講(11:10〜12:40)

紫のにほへる妹 ─蒲生野の贈答をめぐって─
講師:坂本信幸(奈良女子大学教授)

 額田王の雑歌としては、何よりも巻一・20、21歌の大海人皇子との贈答が想起されよう。「人妻ゆゑに我恋ひめやも」という大海人の表現から、かつては秘められた恋歌のように受け取られていたこの贈答は、現在では蒲生野遊猟の夜の宴の場で披露された遊興の宴歌と解されるに至っている。しかしながら、大海人の答歌についての従来の解釈には根本的な疑問があり、宴歌としての戯笑性についても、なお検討すべき点があると考える。
第5講(13:30〜15:00)

第5講(13:30〜15:00)

天智天皇挽歌における額田王歌
講師:神野志隆光(東京大学大学院教授)

 万葉集巻二の天智天皇への挽歌9首(147〜155)はひとつのまとまりをつくるが、万葉集にしたがって、その全体を読み、そのなかでの額田王歌(151、155)の位置と意義とを見たい。とくに、「大宮人」を歌う155歌をもって歌群を閉じることに注目し、この構成を、作歌事情や場から見るのでなく、万葉集の問題として考える。

(予告)
秋季高岡万葉セミナー「額田王2」
日時:平成16年10月30日(日) 会場:高岡市万葉歴史館/講義室
講師:林博通(滋賀県立大学教授)・廣岡義隆(三重大学教授)



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