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第37回 日本の七夕の淵源(藤原茂樹)

2025年06月29日NEW

彦星が 妻の織姫を迎へる舟を

漕ぎ出したようだ

天の川原に 霧が立っているのは

その水しぶきに違いない

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彦星(ひこほし)し 妻(つま)迎へ舟 

漕ぎ出(づ)らし

天(あま)の川原に 霧の立てるは

巻八・一五二七 山上憶良(やまのうえのおくら)

 

 

 牽牛(けんぎゅう)と織女(しょくじょ)とが出会う説話の成立は、古代中国の後漢(二五~二二〇年)とされているが、『詩経』小雅大東に二星が詠まれることから紀元前成立説もある。日本では、「庚辰年」(天武九年〔六八〇年〕)の七夕歌(巻十・二〇三三)があり、飛鳥時代には渡来していた。日本最初の占星台ができたのがその五年前である(天武紀四年)。天体への新たな興味が広がるこの時期に、七夕の夜空へのあこがれも育っていった。やがて、時は下り平城宮では七夕詩が賦(ふ)され『続日本紀』(天平六年〔七三四〕)『懐風藻』(七五一年の序をもつ)には七夕詩を認める。歌人も詩人も秋の夜空を見上げる。だが、織姫が渡河する中国説話に対して、『万葉集』のほとんどの歌では川渡りするのは彦星である。それはわが国古来の妻問婚(つまどいこん 男性が女性のもとへ通う婚姻型式)になじむ受容と思われる。

 万葉では織り姫を、「織女」・「多奈波多」(たなばた)・「棚機」(たなばた)と表記する。棚(たな)のある水辺の建物で機(はた)織りをし、神の衣の布を織る女性を「たなばたつめ」といっていた。それに渡来説話の織女像を重ねた(折口信夫の論「水の女」「たなばたと盆踊りと」)。

 ところで、正倉院御物に、七孔針(長針三本短針四本)が残るのは、奈良時代に乞巧奠(きっこうでん)が行われたからだろう。それは、七日夜に庭に出た女性が、竹に飾り紐を垂らし、花・瓜・酒肴・針・糸・筆・硯(すずり)等を供え、月にむかって針の孔(あな)に糸を通す外来習俗の模倣である。ただ、『延喜式』織部司七日夜の織女祭では、五色薄絁や木綿・紙などを捧げているが、針の記述はそこには見えない。宮廷の中においても、唐風と和風とが完全に混じり合ってはいない。そんなところに日本独自の七夕行事の淵源の一つがある。

 (藤原茂樹)

 

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