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第41回 麻を抱く人(藤原茂樹)

2025年10月29日NEW

上野(かみつけの)の 安蘇の麻束(あさたば)を ぐいと引き寄せ抱くように抱いて共寝(ともね)をするが、満ち足りないのを ああ、俺はどうしたらいいのだ

上野(かみつけの)

安蘇(あそ)のま麻群(そむら)

かき抱(むだ)

(ぬ)れど飽(あ)かぬを

あどか我(あ)がせむ   

巻十四・三四〇四 

東歌・上野国(現群馬県)歌

 

 

 

 NHKEテレ(2011年9月放送 日めくり万葉集)で小説家村山由佳(2003年直木賞「星々の舟」、『ダブル・ファンタジー』中央公論文芸賞・柴田錬三郎賞)がこの歌に、「恋をした時の甘酸っぱくて凶暴な気持、体の中で何か魔物があばれまわるような気持」を見ていた。そしてエクスタシーの後の歌い手の感情を、ラテン語の句「Post coitum omne animal triste est(ポスト・コイトゥム・オムネ・アニマル・トリステ・エスト) すべての動物は性交後に憂鬱になる」(古代ローマ時代の医師・哲学者クラウディウス・ガレヌス(Claudius Galenus, 129–199頃)の言葉)と照らし合わせてもいた。

 ここのところ私が読んでいる1936年時点の折口信夫の理解は、こうした人間の本性や哲学的な思索に向けるのではなく、性感をうたう民謡としての事実の底に横たわる民俗生活に思いを寄せている。(第一・二句 序歌)

「序歌が実生活を比喩化した点も、第三句の圧力感も、この歌のをえろちつく﹅﹅﹅﹅﹅な味を純朴なものにしてゐる。つまり、肯定せずにゐられない力をもつてゐる訣だ。勿論、純抒情詩ではないが、それ以外に、民謡として別に持つ事実が、「あどかあがせむ」に出てゐる。性感よりも、その底に横つてゐる民俗生活を、思はずにはゐられない。」

(『万葉集総釈』巻十四 1936年7月・折口信夫全集8巻)

 もう季節は過ぎたが、都会の路地のあちらこちらで盆の迎え火や送り火を焚く風習に遭うと、それぞれの家に魂祭(たままつ)る夜の静まりや甦る記憶があることをあらためて知る。季節が来ると、どこからか送り火に焚く苧殻(おがら 麻の芯)が送られて来る。江戸時代には、苧殻売りがかついで街を売り歩き、また草市・苧殻市が立ったという。

 は、古代の青和幣(あおにぎて)として神祭りに使われた神聖な植物であり、現代の街角の夕べの火にもその静謐(せいひつ)を伝えているように思える。麻(大麻)は、三月彼岸に種まき、110日後に三メートルに及ぶ背丈の麻を引き抜き(麻ぬき)、根や枝葉を落とし(根切り・葉打ち)束ね(生麻まるき)、その日のうちに煮沸(湯かけ)、四日乾燥(麻干し)、収納。その後、麻はぎ、麻挽きして繊維とし、横棒に掛け並べ(麻掛け)麻糸の原料(精麻)をつくる。繊維と芯をわける麻はぎとのとき苧殻ができる。苧殻は花火、精麻は幣帛(へいはく)や大相撲の横綱などに用いる。

 万葉では、麻(あさ)・苧(を)・麻(そ)を詠む歌は二十八首、その多くが麻衣をよむが、

庭に立つ 麻手(あさで)刈り干し 布さらす 東女(あづまをみな)を 忘れたまふな

(巻四・五二一)

など、麻畑の作業から冒頭の歌「上野(かみつけの)安蘇(あそ)のま麻群(そむら)かき 抱(むだ)き寝(ぬ)れど飽(あ)かぬをあどか我(あ)がせむ」と愛がその腕からすりぬけてゆかないように抱きすくめる情欲の歌が生まれてもいる。これは、麻ぬき、生麻まるきの折の体感がもとだ。正倉院(しょうそういん)所蔵の経文(きょうもん)に麻紙が用いられ、諸国から麻糸を貢納させる条文が『延喜式』民部(えんぎしき 10世紀初頭成立)にみえるなど、都での使用から庶民の衣まで用途は広かった。『日本書紀』持統七年(693年)三月、紵(からむし)殖産(しょくさん)の命令も衣用の麻の栽培奨励である。麻は、現代よりずっと広く人々に役立つ植物であった。 

 生麻の皮質は湿気がなくすべすべしていて、両腕で束をかかえながら縄をかけようとすると、すぐバラバラッと束がくずれてしまう。麻束をかかえるなら力をぐっといれたまま離さないようにし続ける難しさがある。その感じが好きな異性を抱きつづけて寸分も離すまいとする力具合に似てもいる。古代東国人の感覚がこめられているようだ。

 (藤原茂樹)

 

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