高岡市万葉歴史館
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第42回 千人がかりの石と恋ー別離のくるしみと数あそびー(藤原茂樹)

2025年11月28日NEW

わたしの恋は、千人引きの大石を、七つも首にかけるほど重くせつなかろうとも、神の御意思のままに

(あ)が恋は

千引(ちび)きの石(いし)

(なな)ばかり

首に掛(か)けむも

(かみ)のまにまに   

巻四・七四三 大伴家持

 

 

 

 若き大伴家持恋する坂上大嬢(さかのうへのおほをとめ)に贈った歌。破局にむかうが、やがて後に夫婦になる二人の青春時代を彩る歌のひとつである。万葉歴史館の入口には、現代の造形物とはいえ、肩を寄せあう二人のほほえましい姿が立っている。

 歌の中の「千引きの石」とは、『古事記』にも登場する黄泉国(よみのくに)の入口をふさいで、夫婦となったイザナキとイザナミを隔てた巨大な石である。『古事記』の神話はこんな風に進む。

 イザナミは、火神を生んだために命を落とす。イザナミを連れ戻しに黄泉国へ着いたイザナキは、イザナミに「我を視るな」と言われ久しく待つが、火を灯してしまう。照らされた禁忌の闇には蛆(うじ)のたかった妻の亡骸があり、その畏怖が夫神を逃亡に駆り立てる。約束を破棄され姿の変じた体の細部を覗かれた妻は、追撃を開始する。

 その理由は「吾に辱(はじ)見せつ」。

 恥辱は夫婦愛を退ける重大な倫理規範だった。夫は逃走のあいだに、縵(かづら)と櫛(地面に落ちると、縵が山ブドウ、櫛がタケノコとなった)を投げ棄て難を逃れて行く。逃走と追撃との果てに、イザナキは黄泉国の境を「千引石」で塞ぎ、妻への離別を言い渡す(これを「事戸(ことど)を度(わた)す」という)

 家持は、大嬢との別離の切なさを七石の首飾りと比較する。夢だけの出会いは苦しく(七四一)、一重の帯が三重になるほど痩せた(七四二)との後のこの歌に七の数を詠みこむ。

 さて、最終句の原文神之諸伏」(かみのまにまに)の「諸伏」(まにまに)は、樗蒲(かりうち)という遊戯の用語であった。四本の折木・切木を投げて全部裏になる(諸伏)のが最上の目で、遊戯を思いのままに支配できる。出る目は運命の神の意思。これも数字にかかわる。家持は、離別神話を歌に用いて、別離の苦しさをうたいながら、数遊びのあかりを灯す。離縁の大石に七度突き返されるような運命を今はひきうけても、希望をもっているとでもいうように。

 ちなみに、『古事記』はこの石道返之大神(ちがえしのおおかみ)という。道返とは、道を来る邪神邪霊を防ぐ民俗信仰である。沖永良部島では村の入口に多くの石を置いて村や島の守りとしていた。これをカエシといっている。

 (藤原茂樹)

※写真:島根県松江市東出雲町揖屋(いや)の黄泉比良坂伝説地

 

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