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日めくり万葉集ブログ-万葉からMANYOへ-
第43回 万葉びとの食生活(藤原茂樹)
2025年12月30日

醤(ひしお)に酢を加え、野蒜(のびる)を
搗(つ)きまぜたタレを作って、
鯛を食いたいと願っている
この俺様の目の前から 消えてくれ、
まずい水草の吸い物なんかは
醤酢(ひしほす)に
蒜(ひる)搗(つ)き合(か)てて
鯛(たひ)願ふ
われにな見えそ
水葱(なぎ)の羹(あつもの)
巻十六・三八二九 長意吉麻呂(ながのおきまろ)
醤油と酢をまぜたものが醤酢(ひしおす)で、薬味の野蒜(のびる)をあわせたタレで、タイを食べるのは、さしみとしても、ひたしておけばヅケになるので、現代でもわるくない食べ方にちがいない。どの地域に住んでいるかにもよるが、河北潟の辺りで見つかった加賀傍示札には、魚を農民が食べることを禁じているから、たとえ目の前にスズキが泳いでいても、身分によっては自在に口にはできなかった庶民がかなりいたのだろう。池や沼や田んぼの溝辺に生えている葱の少しばかり浮んでいる熱した汁なら日常の食卓といえるわけだ。
万葉びとの食生活は、社会階層や地域により異なったと思われる。この歌は、うまい食事の夢想と日常の食卓との落差を歌って面白い。
奈良時代の調味料は、うたに見る醤と酢以外に塩(三五四歌)・楡(にれ)の皮(三八八六歌)が万葉集にはみえるが、木簡や古代の文献(賦役令他)に、堅魚煎汁(かつおいろり くだいた干しカツオをじっくり煮てこれをこした汁をさらに長い時間をかけて煮詰めたもの)、猪脂(いのあぶら)、麻子油(ましのゆ 麻の実の油)、曼椒(ほそぎ 犬山椒の油)、胡麻油などなどが見える。
食材は、海産物では、たとえば鮪(しび 九三八歌)、鰹・鯛、鱸(すずき 二七四四)、鯯(つなし このしろ四〇一一歌)、葦蟹(あしがに 三八六六歌)、鮑(あわび 二七九八歌)、蜆(しじみ 九九七歌)、小螺(しただみ 三八八〇歌)、縄海苔(なわのり 二七九九歌)などが詠まれている。他には、鰻、鮎、鮒、氷魚(ひお)の水産物や、山野の鹿、猪、兎、雉などがみられる。
万葉びとは身近な野草を採集する。春に乙女たちが集団で野にでて、ウハギ(一八七七歌)や若菜を採り(一歌)、それを羹(あつもの 具をいれた熱い吸い物)にして遊ぶ行事(三七九一歌)が残る。また茅花(つばな)も食べていた(一四六〇歌)ようだ。特に水田雑草のゑぐ(一八三九・二七六〇歌)や、子水葱(こなぎ 四〇七歌)はよく食べていた。他にもタデ、スミレ、ヒシ、セリ、ククミラ(茎韮)、ワラビ、ヒルなどがみえる。野草の採取は、万葉の時代から現代まで続いている習慣である。これら以外にも、イモ、ウリ、シイ、クリ、トコロヅラやマツタケと思われるものも歌われている。
しかし、長屋王邸宅跡出土木簡に見る多種多様な食材、たとえば、牛乳(飲んだか蘇にした。蘇はチーズ状のもの)まで入手するの豊かな食生活にくらべて、庶民は、山上憶良が歌うように「かまどには 火気(ほけ)吹き立てず 甑(こしき)には 蜘蛛の巣かきて 飯炊(いひかし)くことも忘れて」(八九二歌)という厳しい生活がみえる。それも万葉びとのくらしの一端である。都市生活の隅々に隠れるようにくらしている困窮者の声が聞こえないいまの社会に照らすと、古い時代のうたの度量を思い知る。
(藤原茂樹)
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