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日めくり万葉集ブログ-万葉からMANYOへ-
第46回 藻臥束鮒(もふしつかふな) 鮒を贈った王(おおきみ)(藤原茂樹)
2026年04月26日

沖の辺りへ行ったり
岸辺をたどったりしてまさに今
貴女のために捕まえた
川藻のかげに隠れていた
拳(こぶし)ほどの鮒です
めしあがれ
沖辺(おきへ)行き
辺を行き
今や 妹がため
わが漁(すなど)れる
藻臥(もふ)し束鮒(つかふな)
巻四・六二五
高安王(たかやすのおおきみ)
天武天皇のお子である長皇子(ながのみこ)という方は、高市皇子没後、軽皇子(かるのみこ)の対立候補として皇位を望んでいたが叶わなかった。志貴皇子(しきのみこ)との宴の歌(巻一・八四)が巻一最終歌(聖武朝神亀頃の追補と理解されている)であることは、雄略天皇に始まり、長皇子に終わる万葉集巻一の成立にとり忘れられない皇子である。
高安王とは、その長皇子の孫で、父は川内王(かわちのおおきみ)、弟君には風流侍従門部王(かどべのおおきみ)・桜井王のお二人、娘には高田女王(巻八・一四四四)がいる。弟たちは、神亀六年(七二九)に、風流侍従として知られ(『藤氏家伝』)、聖武朝のみやびな文化の最先端にいた。風流侍従の弟たちの存在と、祖父の歌が巻一最終歌に置かれることとは何か脈絡をもつ。
兄の高安王は、これをさかのぼる養老三年(七一九)、伊予の国守であった(『続日本紀』)が、『万葉集』によるとそれは左降であった。
おのれ故 罵(の)らえて居(を)れば 青馬(あをうま)の 面高夫駄(おもたかぶだ)に 乗りて来べしや (巻十二・三〇九八)
あの男と、かかわってはダメと、叱られている時だというのに、青毛馬の顔を高々と挙げた駄馬なんかに跨(またが)って、のんきにやってきてよいものか。
と、高安王の悠揚迫らぬ騎乗姿の来訪を、ばつが悪いゆえの腹立ちまぎれに罵(ののし)っている女性は、紀皇女(きのひめみこ)という方であった。高安王と禁忌の恋で結ばれた方である(妹の多紀皇女だとの説もある)。高安王は禁断のその恋ゆえに、海のむこう伊予(いまの愛媛県)に左降されたと伝えられている(同歌左注)。
事実というより、貴種流離譚として語られた恋愛であったようだが、年齢推定では、皇女は、高安王より十歳を優に上回る。本歌のお相手が誰だったかは不明だが、川に浸(つ)かりながら鮒を探し回った恋の苦労の大、成果の小のコントラストの軽妙なおかしみとともに、届けものの由来を語り、まごころを届けたことになる。女性に対するまっすぐな接し方である。
(藤原茂樹)
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