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日めくり万葉集ブログ-万葉からMANYOへ-
第32回 万葉びとの言霊(藤原茂樹)
2025年01月27日

神代(かみよ)より 言ひ伝て来(つてく)らく
そらみつ大和の国は 皇神(すめかみ)の 厳(いつく)しき国
言霊(ことだま)の 幸(さき)はふ国と
語り継ぎ 言ひ継がひけり(以下略)
巻五894 山上憶良
〔訳〕
神代の昔から 言い伝えるには 大和の国は 神が威厳をもって守る国 言霊が幸いをもたらす国と 語り継ぎ 言い継いできた
「好去好来の歌」という題名の長歌(五七句を長く連ねていく形式の歌)である。遣唐大使に任じられた多治比真人広成(たじひのまひとひろなり)が、かつて唐の国に行き学んだ憶良の家(平城京にある)に会いにゆき、話をして、数日後憶良が、渡航する広成たちの、無事に行き(好去)、無事に帰国(好来)することを祈願し祝福した歌を書簡形式で送った長歌の冒頭の一節である。
言霊は、わが国に古くからある言語信仰で、詞章や諺の中に、物事を左右する霊的な力が宿されることがあるという考えである。
言が事を動かすというその信仰は、古代に強く信じられ、後世まで残っている。言霊は、言語精霊(ことだま)と説かれる(折口信夫説)。それは呪文に潜む霊魂で、これを唱えると、詞章の通りの現実的な結果が現出するのは、呪文の霊が威力を発揮したと考えるからである。
そうした信仰は、万葉びとの生活圏のなかでは主に、祈願や祭祀の祝詞(のりと)、卜占(ぼくせん)、「とごひ」「かしり」「のろひ」という負荷を負わせる呪詛(じゅそ)などにのこされた。
言霊(ことだま)の 八十(やそ)の衢(ちまた)に 夕占(ゆふけ)問ふ 占正(うらまさ)に告(の)る 妹(いも)は相寄(あひよ)らむ
巻十一2506
〔訳〕
ことだまの 八十の道の交差する地点で 夕方のうらないをしてみたら、占いはまさしくはっきりと予兆を提示した。 あの娘はおまえさんに近づいてくれると。
この歌は、言霊が四通発達の辻にいると歌う。道が多数交差する地点は、あちらこちらにみかけることができる不思議な気が起こるところである。東京なら、渋谷駅前の交差点はその印象を深くきざむ。そうした場所は、さまざまな感情がにぎわい交差し行き過ぎてゆくところで、すれちがう人の顔がぼんやりしてくる日の暮れは、殊に占いの効果がてきめんにあらわれると、古代だったら感じるようなところだ。万葉の時代にはなしをもどすと、夕暮れは、目に見えない精霊が動き出す。その出現する衢は、集まる言葉の精霊を捉えるのに都合よい場所とおもわれていた。人々は必要な時、そこで夕占を問う。その民間の知識を遣唐使送別時に憶良は、大和国を「言霊の幸はふ国」と言い直し、言霊の能力を高揚させる表現として用いた。この場合の言語霊は、対外的国家意識を帯び、民間人がちまたで捉えようとしたものではなくなっている。「言霊の幸はふ」とは、霊魂としての効能を発揮することを意味している。語の形が似る「霊(たま)ぢはふ」(巻十一2661)は、平安時代の字書『新撰字鏡』(しんせんじきょう)に「影護 知波不」とある。「ち」は霊魂で「はふ」はそれが働く、つまり「ちはふ」は霊力で加護する意味。同様に「さきはふ」も活発に働く霊力が、幸いをもたらすことである。憶良は、自分の歌に言語精霊が宿り、海を越えて、旅ゆく若き優秀な者たちの身体生命の安全と無事生還の祈りを歌に込めようとしたのである。
(藤原茂樹)
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