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第33回 万葉人の死生観(藤原茂樹)

2025年03月02日

青々と旗のように 茂る木幡の山の上を 大君の魂が抜け出して 行きつ戻りつすることは 目には見えるけれど 直には、お逢いできないことだ

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一書に曰く、近江天皇の聖躰不豫(みやまひ)したまひて、御病急(みやまひには)かなる時に、大后の奉献(たてまつ)る御歌(みうた)一首

青旗(あをはた)の

木幡(こはた)の上(うへ)を

通(かよ)ふとは

目には見れども

直(ただ)に逢はぬかも

巻二148 倭大后(やまとのおほきさき)

 

 

 天智天皇がご危篤の時(671年12月崩御)に、倭大后(天智の異母兄古人大兄皇子の娘。668年立后)が奉られた歌とされる。死の認識は、亡骸から魂が離れて自然のなかに消えてゆくと感じていたようだ。その体から脱け出てしまった魂は帰らざる浮遊体となって上空をふらついていて手の届きようがない場所に行ってしまっている。臨終に至るまで手を尽くしていたに違いない后は、もはや夫の霊魂のゆらぎを見つめるだけである。自身の魂をとばして捕捉するような術まではもっていなかったのであろう。

 人間以外の生き物が、ひそひそささやき合い、何らかの意思を抱く世界を、万葉人は周囲にもっていた。『播磨国風土記』の鹿出現や『日本霊異記』の狐妻や、記紀天岩屋神話の草木の言問い、「笹の葉はみ山もさやにさやげども」(万葉集巻二133 柿本人麻呂)に見られる恐れ敬う「み山」の神秘と草の意思に囲まれて身を固める旅人の心理などはそうした世界観の反映である。「来(こ)む世には虫にも鳥にもわれはなりなむ」(348大伴旅人)と転生の考えが受容されるに至る感性の基盤には、人の魂が死後に他の生き物に入りこみ居場所をもつ思案があったのであろう。

 人の霊魂と自然界の霊魂とは、人からすると死の闇を通りぬけてつながる世界のようにみえるが、並行するその世界の事情は、人に知らされることはない。だが、周囲の何かから見つめられている感覚を祖先たちはもち続けていたであろう。死後の魂もそのまなざしの中にまじる。

 人は死ぬと生の終りを見極める「もがり」(殯 167)の後、山に隠れる(460・466)。天智天皇の殯宮(もがりのみや)のときの額田王の哀悼歌も残されている。

かからむと かねて知りせば 大御船(おほみふね) 泊(は)てし泊まりに 標結(しめゆ)はましを (151)

港を封じておけばよかった。そうであれば天皇のみ魂が出て行くことは防げたかもしれぬと、額田王はうたう。港の外にひろがる湖水(淡海)が霊の世界につながっているわけだ。だから、生死の世界は峻厳に遮断されるが、魂までが消滅したり果てしなく遠い距離のある場所に封印されるとは感じていなかったかもしれない。

 (藤原茂樹)

 

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