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第8回 軍王の、山を見て作る歌(坂本信幸)

2023年09月10日

  讃岐国(さぬきのくに)の
  安益郡(あやのこほり)に
  幸(いでま)す時に、
  軍王(いくさのおほきみ)、
  山を見て作る歌

霞立つ 長き春日(はるひ)の 暮れにける わづきも知らず
むら肝(きも)の 心を痛み ぬえこ鳥 うら嘆(な)け居(を)れば
玉だすき かけの宜(よろ)しく 
遠(とほ)つ神 我(わ)が大君(おほきみ)の 行幸(いでまし)の 山越す風の
ひとり居る 我が衣手(ころもで)に 朝夕(あさよひ)に 反(かへ)らひぬれば
ますらをと 思へる我(われ)も
草枕 旅にしあれば 思ひ遣(や)る たづきを知らに
網(あみ)の浦の 海人娘子(あまをとめ)らが 焼く塩の
思ひそ燃ゆる 我が下心(したごころ)(巻1・五)
  反歌
山越(やまご)しの 風を時じみ 寝(ぬ)る夜(よ)落ちず 家なる妹(いも)を かけて偲ひつ(巻1・六)

〔現代語訳〕
霞の立つ春の長い一日が、いつ暮れたのかも分からないほど、
(むらきもの)心が苦しいので、(ぬえこ鳥)心の中に嘆いていると、
(玉だすき)心にかけるのがよいことに、
(遠つ神)我が大君が行幸なさっている山を越えて吹いてくる風が、
ひとりでいる私の袖に、朝な夕なに吹き翻るので、
立派な男子だと思っている私も、
(草枕)旅先にあるので、思いを晴らすすべもないまま、
網の浦の海人の娘たちが焼く塩のように、
思い焦がれる私の胸のうちだ。
  反歌
山を越えてくる風が絶え間なく吹くので、
寝る夜の毎夜毎夜、家にいる妻を心にかけて思った。

 この歌は題詞によると、舒明天皇が現在の香川県坂出市および綾歌郡の東部に行幸した折に、軍王が作った歌である。作者の軍王は、古代文献中ここにしか名を見ない人物で、伝未詳である。「軍王」を、『日本書紀(雄略天皇条)に見える「軍君」(コニキシ)と同じと見て、コニキシと訓み、舒明三年(631)に百済から渡来してきていた百済王の子の余豊璋を指すとする説(青木和夫「軍王小考」『上代文学論叢』桜楓社、昭43、他)があったが、生田周史(「軍王再考」(『万葉』第106号、昭56・3)によってその説は否定されている。いまは、『古義』の訓みに従い、イクサノオホキミと訓んでおくが、如何なる人物かについては不明である。
 この歌において重要なことばは、「山越す風」「山越しの風」である。万葉の恋人たちにとって、「山」は二人の間を隔てる恋の障害の象徴であった。

月見れば 国は同じそ 山隔(へな)り 愛(うつく)し妹(いも)は 隔りたるかも

(巻11・二四二〇)

あしひきの 山は百重(ももへ)に 隠すとも 妹は忘れじ 直(ただ)に逢ふまでに

(巻12・三一八九)

春霞 たなびく山の 隔(へな)れれば 妹に逢はずて 月そ経(へ)にける

(巻8・一四六四)

 まして、旅に出ている者にとって、山は家郷の妻と目分とを隔てるものとして強く意識された。
 「山越しの風」は、単に山を越えて吹く風ではない。「あしひきの 山は百重に 隠すとも 妹は忘れじ 直に逢ふまでに」(巻12・三一八九)という歌に見られる旅人の思いから考えても、「山越しの風」は、家郷の妻の方から吹き越えてくる風なのである。安房国朝夷郡(あわのくにあさひなのこおり)の防人丸子連大歳(まろこのむらじおほとし)の「家風(いへかぜ)は 日に日に吹けど 我妹子(わぎもこ)が 家言(いへごと)持ちて 来る人もなし」(巻20・四三五三)では、家の妹からの伝言を求める防人の切なる望郷の思いが、「家風」という名詞まで形成している。風は思いを運ぶ。その風が絶える時なく吹くということは、妻がいつも旅にある自分のことを思っていてくれている証しである。それ故、男は寝る夜を欠かすことなく家の妻のことを心に思うのである。
 長歌の「かけの宜(よろ)しく」を、口に掛ける意と解する注釈が多いが、それは誤りである。
 春の長い一日が、いつ暮れたのかも分からないほどに、妻恋しさに心が苦しく、心の中で嘆いていると、その心に掛けていた思いが通じたかのように、ひとりでいる我の袖に朝な夕なに吹き翻るのである。
  妹に恋ひ 寝ねぬ朝に 吹く風は 妹にし触れば 我にも触れこそ(巻12・二八五八)
という、風を通して妹との一体化を願った歌も参考となる。
 古代の旅にあっては、旅中の安否は、旅先の国の神の加護にかかわるとともに、斎戒して夫の無事を願う家の妻の祈りによって保証されると考えられた。それ故、旅先にある男性は、国つ神を讃えるべく旅先の地を歌うことが求められるとともに、別離による妻恋しさの自然感情を越えて、家郷の妻を思慕する歌を歌うことか重要であった。
 「山を見て作る歌」と題詞にある山は、歌のおもむきから考えて作者葷王と故郷の妻との間にある山であろう。讃岐国の山は独特の山容をもつが、わざわざ見る山といえば「讃岐富士」と証される飯野山であろう。

(坂本信幸)

※写真は飯野山(「写真AC」より)

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