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第14回 母系制社会(藤原茂樹)

2023年11月30日

汝(な)が母に こられ我(あ)は行く 

青雲の 出で来(こ)我妹子(わぎもこ)

相(あひ)見て行(ゆ)かむ

   巻十四・3519

  

(現代語訳)

おまえの母さんに叱られておれはもう行くよ 雲から青空が顔をのぞかすように出てきておくれわたしのお前。目を見合わせてから帰りたい。

 

 息子が好きな娘のもとに通うのを親が問いただすのは、恋愛初期ではみかけない。一方、娘へ夜這をかける男への警戒は、母が油断なく見張り(2557・3000)、時に立ちはだかって男を懲らしめる。村落社会では娘の母たちは侮れず、青年はそれを目の上のたんこぶと思っていただろう。許されて通うようになり、やがて生まれた子どもは、男が引き取るのではなく、女の家で育てられる。兄弟姉妹でも同母ならば同じ家で育つが、腹違いならば別に育つ。それは、娘へ資産が受け渡される社会であることを想定して理解される面がある。

 都に住む大伴坂上郎女が田の経営を主体的にこなすのもそうした古くからの伝統の末にある。現在ではたとえば、かつての伊是名島(いぜなじま)のノロの家のように代々女性から女性へと伝えて行った女系の家は少なくなった。しかし、律令制度が導入されてゆくと、戸籍上の主は男になる。男性社会が津々浦々まで浸透してゆくと、母系社会は生活に根ざす実質の部分をわずかに残しながらも、隅に押しやられる。万葉集には両親を呼ぶ順序として、父母 チチハハ」「母父 オモチチ(443・3336~7、3339~40,4402)。アモシシ(4376・4378)」と二種ある。父母は父系時代に生じた語、母父は母系時代の語とみて、それは家族制度の変遷を反映したものという(福田良輔『奈良時代東国方言の研究』)。母をアモ・オモという信濃(4401~2)、下野(4376~8・4383)は母系制を奈良時代まで残し、下総結城(オモ4386、ハハ4393)利根川中流がその交錯地帯であった。海沿いの地域にくらべ山岳地帯が母系を遅くまで残していた地域といえる。

 

たらちねの 母を別れて まこと我(われ) 旅の仮廬(かりほ)に 安く寝むかも

巻二十・4348 日下部三中

おっかさんの手元をお別れして 本当に俺は旅の仮小屋で不安なく眠れるのだろうか

母の霊的守護の圏外では、若者の夜は魂に動揺がおきたようだ。

(藤原茂樹)

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