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第15回 続・酒の歌(坂本信幸)

2023年12月15日

湯原王 (ゆはらのおほきみ)の打酒(ちゃうしゅ)の歌一首

焼き大刀(たち)の

かど打ち放(はな)ち

ますらをの

寿(ほ)く豊御酒(とのみき)に

我酔(ゑ)ひにけり

   (巻6・九八九)

  

〔原文〕

焼刀之(やきたちの) 加度打放(かどうちはなち) 大夫之(ますらをの) 禱豊御酒尓(ほくとよみきに) 吾酔尓家里(われゑひにけり)

〔現代語訳〕

焼き鍛えた大刀のかどを打ち放ってますらおが祝う美酒に、私は酔ってしまった。

 作者湯原王は、志貴皇子の子(天智天皇の孫)。父の歌才を受け継いで、万葉集に19首の短歌を残している。繊細優美な歌風を特色とするが、この歌はその歌風と異なる風であるのは、酒宴の場の儀礼的な歌だからであろう。

 前回の『常陸国風土記』香島郡条の唱(うた)に、

あらさかの 神の御酒(みさけ)を 飲(た)げと 言ひけばかもよ 我(わ)が酔(ゑ)ひにけむ(風6)

と歌われたいた「我(わ)が酔(ゑ)ひにけむ」というフレーズが思い起こされる。
 『古事記』(中巻)応神天皇条には、百済からの朝貢により、酒の醸造について詳しい須々許理(すすこり)という者が来朝し、天皇に大御酒を醸造して献る記事が見えるが、そこにも、

是(ここ)に、天皇、是(こ)の献れる大御酒にうらげて、御歌に曰く、
  須々許理(すすこり)が 醸みし御酒に 我酔(ゑ)ひにけり
  事無酒(ことなぐし) 笑酒(ゑぐし)に 我酔ひにけり(記49)

〔現代語訳〕
須々許理が醸したお酒に、私はすっかり酔ってしまった。
無事平安になる酒、笑いたくなる酒に、私はすっかり酔ってしまった。

と、やはり「我酔ひにけり」というフレーズが見える。

 つまり、「我が酔ひにけむ」「我酔ひにけり」というような「酔ひ」を歌う表現は、酒の場において供された酒を讃える儀礼的な歌の常套句であったといえよう。大伴旅人の「讃酒歌十三首」中に、「酔ひ泣きするし 優りたるらし」(3・三四一)、「酔ひ泣きするに あるべかるらし」(3・三四七)、「酔ひ泣きするに なほ及かずけり」(3・三五〇)と三首にもわたって「酔ひ泣き」が歌われているのも、旅人が泣き上戸であったからという可能性もあるが、酒を讃える儀礼性の継承であろう。

 題詞に見える「打酒」とは、「酒を酌むこと」で、中国・唐代の寒山詩に「打酒シテ詩ヲ詠ジテ眠リ、百年髣髴ヲ期ス」とあり、中国の俗語的用法という(小島憲之『上代日本文学と中国文学』)。「焼き太刀」は何度も焼き入れをして鍛造した大刀のこと。「打ち放ち」は未詳であるが、いずれ「寿(ほ)く」ことに関わる意の語であろう。

 余談であるが、私の故郷高知県では、酒宴の際客人が、次第に酔いが回ってきた折に、主人に酒を勧められ、

「こじゃんといただいて、 げにまっこと酔うてきたぜよ(たくさんいただいて、ほんとうに酔いが回ってきましたよ)」

 というと、主人は、

「おまんは何処で酔うて来たがぜよ。俺(おら)ん家(く)で飲んだがじゃないがかえ(あなたは何処で飲んで酔って此処へ来たのですか。私の家で飲んだのではないですか)」

 と応ずるのがお決まりである。「(その家で)酔った」というのが、主人に対する客人の謝意の挨拶であるのを前提とした、ことば遊びの応答である。

(坂本信幸)

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