高岡市万葉歴史館
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第22回 魂の行方ー柳田国男と柿本人麻呂ー(藤原茂樹)

2024年03月30日

 防人歌にみえる「多摩の横山」の南端あたり、そこがわたしの住んでいるところです。

赤駒(あかごま)を 山野にはがし 取りかにて 多摩の横山 徒歩(かし)ゆか遣らむ

(巻二十4417)

 近くに新宿駅から神奈川県の小田原駅を結ぶ小田急線が通り、その沿線は映画と民俗学に興味ある向きには特別な地域で、砧(成城)撮影所(現東宝スタジオ)では昭和29年ゴジラが誕生しました。成城(6丁目標高約44m)に住んだ柳田国男の墓生田丘陵(標高95m)にあり、成城からは

多摩川に さらす手作り さらさらに なにそこの児(こ)の ここだかなしき

(巻十四3373)

という多摩川(標高20m程)の川向うの丘にあります。晩年柳田はラジオで家族がもう川向うまで行かしてくれないと話しています。柳田は万葉集についてあまり話しません。ただ日本人の古い心理を大事にするので、万葉を考える時に見ぬふりはできません。万葉からすると遠回りの研究とみえますが、日本人の来世観について少し述べてみます。

 沿線には伊勢原駅があり丹沢大山へと向かいます。大山阿夫利神社参道途中に茶湯寺があり、この地域の信仰に死者の魂は大山に行くと伝えます。茶湯寺の百一日詣といい、101日目に遺族が参道に行くと賑わいの中に死者と似る人に会うと伝えます。(ちなみに青森県恐山も同様に伝えます)私の叔母が101日目に山に詣でましたが「会えなかった」と寂しげに言っていました。

…千重(ちえ)の一重(ひとへ)も 慰もる 心もありやと 我妹子(わぎもこ)が 止まず出で見し 軽(かる)の市(いち)に 我が立ち聞けば … 道行き人も 一人だに 似てし行かねば…

(柿本人麻呂 泣血哀慟歌 巻二207)

 人麻呂は恋人の葬地ではなく、賑わう市の道で神経を集中します。でも彼女に似る人に会えません。死者の魂との出会いと別れを期待した場面です。おそらく人麻呂より古い日本人の先祖が思い描いた古代の心理が仏教に淘汰されずに丹沢や青森に残ったのでしょう。

 民俗学は心理の伝来を「心碑・心理現象」(柳田)「心理伝承」(折口信夫)といい学の主目的にしています。「妹が名呼びて 袖そ振りつる」と魂を招こうとするのは我妹子の死霊を汚れなしと感じているわけです。柳田は「千数百年の仏教の薫染にも拘らず、死ねば魂は山に登つて行くといふ感じ方が、今なほ意識の底に潜まつて居るらしい」と古来の日本人の死後観を説き、「魂になつてもなほ生涯の地に留まるといふ想像は、自分も日本人である故か、私には至極楽しく感じられる。出来るものならば、いつまでも此国に居たい。さうして~どこかさヽやかな丘の上からでも、見守つて居たいものだと思ふ。」(「魂の行くへ」昭和24年9月)と述べました。

秋山の 黄葉(もみち)を繁み 惑(まと)ひぬる 妹(いも)を求めむ 山路(やまぢ)知らずも

(巻二208)

 土屋文明「死んで現世に居らなくなつた者が、なほ何處かに生活して居ると考へるのが、此の時代の一般的信仰、といふよりも寧ろ感情であつたと見える。」(『万葉集私注』)としてその感性を示しました。死は魂の完全消失でなく、山奥の別の場所に存在しているとみる世界観です。この解釈は古い日本の感情に適しています。

  • 「日めくり万葉集ブログ-万葉からMANYOへ」は、毎月1回に投稿予定です。