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日めくり万葉集ブログ-万葉からMANYOへ-
第29回 恋人たちの「ほどろ」(藤原茂樹)
2024年10月30日

夜(よ)のほどろ
我(わ)が出(い)でて来れば
我妹子(わぎもこ)が
思(おも)へりしくし
面影(おもかげ)に見ゆ
巻四 754 大伴家持
訳)
夜の闇がわずかに溶けはじめた頃 私が別れて出てくると あなたが 思いに沈んでいる様子が 面影に浮かんで見えるのです
面影は、目の前に実在するかのように姿や光景が浮かんで見えることである。この歌の場合、訪れていた女性(大伴坂上大嬢)の家を、夜明けに出て来た作者(家持)が、今別れてきたばかりの愛しい女性(ひと)の、もの思う姿が気にかかって、それを思い浮かべている。
そうした朝を、平安以後は「きぬぎぬ」(衣衣・後朝)といった。離れ離れになるときに衣を交換して別れる。帰宅して後、おとこは名残惜しさをこめて女のもとに歌を贈るのである。ここでは衣の交換を歌っていないため、きぬぎぬの習俗があったか不明だが、別れの朝に歌を贈る習慣が万葉の時代にあった例の一つである。
恋人は、夜の闇にまぎれるようにして訪れ、暁の暗さの中を別れる。夜が、その深い闇をゆるめる時間帯を「ほどろ」といった。「ほどろ」は、「淡雪降れり庭もほどろに」(巻十2323)と淡雪に使ったりもするが、ここでは夜から明け方に起きている生活が色濃くあるために、闇の状態を細分化することばとして使われていた。失われてひさしいがよいことばだ。
夜の闇に、恋人たちはどのように互いを知覚したか。音声や香りや肌触りを伴ったであろうが、視覚で記憶にとどめた歌もある。
燈火(ともしび)の かげにかがよふ うつせみの 妹(いも)が笑(ゑ)まひし 面影に見ゆ
巻十一2642
訳)火の影で輝いてゆらめく生身のいとしいひとの微笑みが今幻に目についてくる。
油火の揺れる光に映し出された恋人の笑顔が、陰影を濃くして胸に刻まれた。甘い思い出だ。その逆、
夕されば 物思(ものも)ひ増さる 見し人の 言問(ことと)ふ姿 面影にして
巻四601
訳)夕暮れになると物思いが増さる お逢いしたあの人が言葉をかけてきた姿が面影に現われて
今宵も会えない。そう思うと記憶が呼び起こす面影が僅かな慰めとなる。
(藤原茂樹)
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