高岡市万葉歴史館
〒933-0116 富山県高岡市伏木一宮1-11-11
(とやまけん たかおかし ふしきいちのみや)
TEL:0766-44-5511 FAX:0766-44-7335お問い合わせ

まんれきブログ -
越中万葉歌を読む~越中万葉かるたの世界~

106回 大伴家持の長歌・その6~出金詔書を読んで~

2022年06月29日

…海行かば 水漬く屍

山行かば 草生す屍 

大君の 辺にこそ死なめ

顧みは せじと言立て

…「海を行くのなら水浸しの屍、

山を行くのなら草むした屍をさらしても、

大君のそばで死のう。

 矢わが身を顧るようなことはしない」と誓ってきた…

 

 

 奈良・東大寺の大仏は聖武天皇の発願によって造立されました。造立当時は全身に金メッキがほどこされていたということですから、そのきらびやかさが想像されます。

 ただ、工事の当初はメッキ用の金が不足していました。皆が頭を悩ませていたところ、陸奥国小田郡(現在の宮城県遠田郡)で金が出土します。感激した聖武天皇は詔を下し、神仏および諸臣に対して感謝の意を表しました。そこで大伴氏について個別に言及があったものですから、その写しを越中で読んだ家持も感激し、万葉集で3番目に長い長歌を詠むことになりました。

 大伴氏は武門の家柄。一定の世代以上の方なら耳にした「海行かば(海を行くのなら)」から「顧みはせじ(わが身を顧みるようなことはしない)」までのフレーズは、本来は大伴氏一族のスローガンであったと考えられます。(鈴木崇大)

 

陸奥国(みちのくのくに)に金(くがね)を出だす詔書(せうしよ)を賀(ほ)く歌一首 并せて短歌

陸奥国で金が出たという詔書を寿いだ歌一首 と短歌 

 

葦原(あしはら)の 瑞穂(みづほ)の国を

葦原の瑞穂の国を

天(あま)降り 知らしめしける

天から下ってお治めになった

皇祖(すめろき)の 神の命(みこと)の

天孫の神々が

御代(みよ)重ね 天(あま)の日継(ひつぎ)と

御代を重ねて、日の神の後継ぎとして

知らし来る 君の御代御代

治めてこられた御代ごとに、

敷きませる 四方(よも)の国には

治められる四方の国々は

山川を 広み厚みと

山も川も広々と豊かなので、

奉(たてまつる)る 御調宝(みつきたから)は

奉る貢ぎ物や宝物は

数へえず 尽くしもかねつ

数えきれないほどで、挙げ尽くせない。

しかれども わが大君(おほきみ)の

しかしながら、わが大君が

諸人(もろひと)を 誘(いざな)ひたまひ

人々を仏の道にお導きになり、

良き事を 始めたまひて

(大仏建立という)良いことをお始めになって、

金(こがね)かも たしけくあらむと

黄金が果たしてあるのだろうかと

思ほして 下(した)悩ますに

お思いになってお心を悩ませておられたところ、

鶏(とり)が鳴く 東(あづま)の国の

(とりがなく)東の国の

陸奥(みちのく)の 小田(をだ)なる山に

陸奥国の小田郡にある山に

金(くがね)ありと 申(まう)したまへれ

黄金があると奏上してきたので、

御心(みこころ)を 明らめたまひ

お心も晴れ晴れとなり、

天地(あめつち)の 神相(あひ)うづなひ

「天地の神々もともに愛でられ、

皇祖(すめろき)の 御霊(みたま)助けて

代々の天皇の御霊もお助けになり、

遠(とほ)き代に かかりしことを

遠い昔の代にもこのようなことがあったことを、

朕(わ)が御代に 顕(あら)はしてあれば

朕が御代にも再現してくれたので、

食(を)す国は 栄(さか)えむものと

わが治める国は栄えるであろう」と、

神(かむ)ながら 思ほしめして

神の御心のままにお思いになり、

もののふの 八十伴(やそとも)の男(を)を

もろもろの官人たちを

まつろへの 向けのまにまに

心からお仕えさせられるままに、

老人(おいひと)も 女童(おみなわらわ)も

老人も女子どもも

しが願ふ 心足(だ)らひに

それぞれが願う心が満足するまで、

撫(な)でたまひ 治(をさ)めたまへば

慈しみくださりお治めになるので、

ここをしも あやに貴(たふと)み

このことがなんともありがたく、

嬉しけく いよよ思ひて

うれしい思いをいよいよ強くして、

大伴(おほとも)の 遠つ神祖(かむおや)の

大伴の遠い祖先の、

その名をば 大久米主(おほくめぬし)と

その名を大久米主と

負ひ持ちて 仕へし官(つかさ)

名乗りお仕えしてきた役目柄、

海行かば 水漬く屍

「海を行くのなら水浸しの屍、

山行かば 草生(む)す屍(かばね)

山を行くのなら草むした屍をさらしても、

大君の 辺(へ)にこそ死なめ

大君のそばで死のう。

顧(かへり)みは せじと言立(ことだ)て

わが身を顧るようなことはしない」と誓ってきた

ますらをの 清きその名を

ますらおの汚れなき名を、

いにしへよ 今のをつつに

昔から今のこの世まで

流さへる 祖(おや)の子どもそ

伝えてきた家柄の子孫なのだ。

大伴と 佐伯(さへき)の氏(うぢ)は

大伴と佐伯の氏は、

人の祖の 立つる言立て

先祖の立てた誓いに、

人の子は 祖の名絶たず

「子孫は先祖の名を絶やさず、

大君に まつろふものと

大君にお仕えするものだ」と

言ひ継げる 言(こと)の官(つかさ)そ

言い継いできた名誉の家なのだ。

梓弓(あづさゆみ) 手に取り持ちて

「梓弓を手に持って、

剣大刀(つるぎたち) 腰に取り佩(は)き

剣大刀を腰にしっかりとつけて、

朝守り 夕の守りに

朝の守りにも夕の守りにも、

大君の 御門(みかど)の守り

大君の御門の警護は

我をおきて また人はあらじと

われらをおいてほかに人はあるはずがない」と

いや立て 思ひし増さる

さらに誓い、その思いはつのるばかりだ。

大君の 命(みこと)の幸(さき)の(一に云ふ「を」)

大君のお言葉のありがたさが(また「を」)、

聞けば貴(たふと)み(一に云ふ「貴くしあれば」)

承るとかたじけなくて(また「貴いので」)。

(巻18・四〇九四)

 

黄金山神社(宮城県遠田郡)

 

 

 

【さらに詳しく知りたい方へ】

高岡市万葉歴史館編

『越中万葉百科』

笠間書院・2009年刊

458頁・定価2600円(税別)

 

 

※引用した歌本文は、上記の『越中万葉百科』に拠ります。