高岡市万葉歴史館
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まんれきブログ -
越中万葉歌を読む~越中万葉かるたの世界~

107回 大伴家持の長歌・その7~不実な部下をさとす~

2022年07月06日

…さどはせる 君が心の

すべもすべなさ

…迷っている君の心の、

なんともどうしようもないことよ。

国司は都から派遣されますが、その際、単身赴任の場合が多かったようです。ですから、現地の女性とねんごろになってしまうケースがあったようで、勅で禁止されることもありました。

家持の部下であった尾張少咋(おわりのおくい)もまさにそういう人物で、左夫流(さぶる)という女性と深い仲になってしまいます。上司である家持は黙って見過ごすわけにはいきません。この歌を作って、左夫流と仲良くしている少咋を「すべもすべなさ(なんともどうしようもないことよ)」と責め、都にいる奥さんを大事にするよう教えさとしますが、後日、少咋の奥さんが都からはるばるやってきて里は大騒ぎになったということです(巻18・4110)。

いかにもありがちなオチですが、この少咋の名が記された当時の文書が残っており、実在の人物であったことが分かっています。

連載第60回はこの長歌の反歌について書いています。そちらもご覧ください。(鈴木崇大)

 

史生(ししやう)尾張少咋(をはりのをくひ)に教へ喩す歌一首 并せて短歌

史生尾張少咋を教え諭す歌一首 と短歌 

 

大汝(おほなむち) 少彦名(すくなひこな)の

大汝命と少彦名命の


神代(かみよ)より 言ひ継ぎけらく

神代から言い伝えられたことに、


父母を 見れば貴(たふと)く

「父母を見れば貴く、


妻子(めこ)見れば かなしくめぐし

妻子を見ればせつなくいとしい。


うつせみの 世の理(ことはり)と

(うつせみの)世間の道理だ、これが」と、


かくさまに 言ひけるものを

このように言ってきたのに、


世の人の 立つる言立て

これが世の人の立てる誓いの言葉であるのに。


ちさの花 咲ける盛りに

ちさの花の咲いている盛りの時に、


はしきよし その妻の子と

いとしいその妻である人と、


朝夕に 笑みみ笑まずも

朝夕に時には笑顔、時には真顔で、


うち嘆き 語りけまくは

ため息まじりに語りあったことは、


とこしへに かくしもあらめや

「いつまでもこうしてばかりいられようか。


天地の 神言寄せて

天地の神々のうまく取り持ってくださって、


春花の 盛りもあらむと

春花のような盛りの時も来るだろう」と、


待たしけむ 時の盛りそ

待っておられた盛りの時なのだ、今は。


離れ居て 嘆かす妹が

離れていて嘆いておられるあの方が、


いつしかも 使ひの来むと

いつになったら使いが来るのかと


待たすらむ 心さぶしく

お待ちになっているその心は淋しいことだろうに、


南風(みなみ)吹き 雪消(ゆきげ)溢(はふ)りて

南風が吹いて雪解け水が溢れ、


射水河(いみづかは) 流る水沫(みなわ)の

射水河の流れに浮かぶ水泡のように


寄るへなみ 左夫流(さぶる)その児(こ)に

拠り所もなくて、左夫流という名の女に、


紐の緒(を)の いつがりあひて

(ひものをの)くっつき合って、


にほ鳥の 二人並び居(ゐ) 

(にほどりの)ふたり並んで、


奈呉の海の 奥を深めて

(なごのうみの)心の奥底までも


さどはせる 君が心の

迷っている君の心の、


すべもすべなさ

なんともどうしようもないことよ。


「左夫流」といふは遊行女婦(うかれめ)の字(あざな)なり 

「左夫流」というのは遊行女婦の呼び名である

(巻18・四一〇六)

 

ちさ(エゴノキ)

 

 

【さらに詳しく知りたい方へ】

高岡市万葉歴史館編

『越中万葉百科』

笠間書院・2009年刊

458頁・定価2600円(税別)

 

 

※引用した歌本文は、上記の『越中万葉百科』によります。