高岡市万葉歴史館
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越中万葉歌を読む~越中万葉かるたの世界~

108回 大伴家持の長歌・その8~雨乞いの歌~

2022年07月13日

…雨降らず 日の重なれば

植ゑし田も まきし畑も

朝ごとに 凋み枯れ行く…

雨の降らない日が重なってゆくので

植えた田もまいた畑も

朝ごとにしぼんで枯れてゆく。

多量の水を必要とする稲作にとって雨不足は深刻な被害をもたします。古くから人々は必死になって雨乞いをしてきました。『日本書紀』には皇極天皇が天に祈ると大雨が降ったという記録が残っています。

「天平感宝元年(749)の5月6日から日照りが続いて田畑が弱ってきたが、6月1日、雨雲が見えたので詠んだ歌」という長い題詞を持つのがこの歌です。「天の白雲」に「雨も賜はね(雨をお与えください)」とお願いしてはいるものの、実際に雨乞いの儀式で詠まれたのかどうかは分かりませんが、国守である家持にとっても秋の収穫をおびやかす日照りは悩みの種でした。

前回の、浮気している部下を教えさとす歌もそうですが、越中時代の家持は、それまでにはない題材で歌を詠んでいます。彼の旺盛な表現意欲が読み取れます。

連載第62回はこの長歌の反歌について書いています。そちらもご覧ください。(鈴木崇大)

 

天平感宝元年閏(うるふ)五月六日より以来、小旱(せうかん)を起こし、百姓(おほみたから)の田畝(でんぼ)やくやくに彫(しぼ)む色あり。六月朔日(つきたち)に至りて、たちまちに雨雲の気(け)を見る。よりて作る雲の歌一首 短歌一絶

天平感宝元年閏五月六日以来、いささか日照りが続き、民の田畑はしだいに生気を失っていった。六月一日になって、突然雨雲の立つ気配があった。そこで作った雲の歌一首 と短歌一首

 

天皇(すめろき)の 敷きます国の 

天皇のお治めになるこの国の、

天の下 四方(よも)の道には

天の下の四方に広がる国々には、

馬の爪 い尽くす極(きは)み

馬の爪がすり減ってなくなる地の果てまで、

船の舳(へ)の い泊つるまでに

船首が行き着ける海のかなたまで、

いにしへよ 今のをつつに

遠い昔から今にいたるまで

万調(よろづつき) 奉(まつ)るつかさと

あらゆる貢ぎ物を奉るなかでも第一としてきた

作りたる その生業(なりはひ)を

その農作物であるのに、

雨降らず 日の重なれば

雨の降らない日が重なってゆくので、

植ゑし田も まきし畑も

植えた田もまいた畑も

朝ごとに 凋(しぼ)み枯れ行く

朝ごとにしぼんで枯れてゆく。

そを見れば 心を痛み

それを見ると心が痛んで、

みどり子の 乳(ち)乞(こ)ふがごとく

幼子が乳をせがむように、

天(あま)つ水 仰ぎてそ待つ

天からの水を振り仰いで待っているのだ。

あしひきの 山のたをりに

(あしひきの)山の鞍部に

この見ゆる 天の白雲

今見えている天の白雲よ、

海神(わたつみ)の 沖つ宮辺に

海の神さまの沖の宮のあたりまで

立ち渡り との曇りあひて

立ち広がって、一面に空を曇らせて

雨も賜(たま)はね

雨をお与えください。

 

(巻18・四一二二)

 

 

【さらに詳しく知りたい方へ】

高岡市万葉歴史館編

『越中万葉百科』

笠間書院・2009年刊

458頁・定価2600円(税別)

 

 

※引用した歌本文は、上記の『越中万葉百科』によります。