高岡市万葉歴史館
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第5回 巻一・三番の舒明天皇が宇智野に遊猟する時に、中皇命が間人老に献らせた歌(坂本信幸)

2023年08月10日

やすみしし 我が大君の
朝(あした)には 取り撫(な)でたまひ
夕(ゆふへ)には い寄り立たしし
みとらしの 梓(あづさ)の弓の
中弭(なかはず)の 音すなり
朝狩に 今立たすらし
夕狩に 今立たすらし
みとらしの 梓の弓の
中弭の 音すなり
                                       (巻1・三)
  反歌

たまきはる 宇智の大野に 馬並(な)めて
朝踏ますらむ その草深野(くさぶかの)
                                      (巻1・四)

〔現代語訳〕

(やすみしし)我が大君が、
朝には手に取ってお撫でになり、
夕べにはそばに寄ってお立ちになっていらした、
ご愛用の梓の弓の
中弭の音が聞こえます。
朝狩に今お発ちになるらしい、
夕狩に今お発ちになるらしい、
ご愛用の梓の弓の
中弭の音が聞こえます。
  反歌
(たまきはる)宇智の大野に馬を並べて、
朝、踏み立てておられるであろう、その草深野よ。

 

 万葉集の巻一巻頭歌群を見て行くと、一番はそらみつ 大和の国は 押しなべて 我こそ居れ しきなべて 我こそいませ 我こそば 告らめ 家をも名をもと歌われ、自分こそが大和国の統治者であることを「告る」(宣言する)歌であり、二番は為政者たる天皇が支配する国土「見る」歌であった。三番は聞くとしてある。
 この場合、天皇が聞くのではなく、天皇の狩りに用いられるご愛用の弓弭の音を、中皇命(なかつすめらみこと)が「聞く」のである。
 長歌において繰り返された結び「みとらしの 梓の弓の 中弭の 音すなり」は、狩を始めるにあたり、豊猟を祈る鳴弦であり、弓讃め歌である。

 反歌は狩をする野讃めの歌であり、「宇智の大野」は「朝踏ますらむ その草深野」と繰り返されている。
 「大野」は、単なる広い野を意味する語ではない。「この郡のすぶる所は、ことごとく、原野にあり。これによりて、名を大野の郡といふ」(『豊後国風土記』大野郡)、「大野と称ふは、本、荒野たりき。故、大野と号く」(『播磨国風土記』飾磨郡)とあるように、原野であり、荒野である。それを繰り返して「草深野」と強調して結んでいる。

 『文選(もんぜん)』班固(はんこ)の「東都賦」に、宮城を讃めて

外は則(すなは)ち原野(げんや)に因(よ)りて以(もち)て苑(ゑん)と作(な)し、

流泉(りうせん)に填(したが)ひて沼(ぬま)と爲(な)す。

蘋草(ひんさう)を發(は)えしめ以て魚(うを)を潜(ひそ)め、

圃草(ほさう)を豊かにして以て獣(じう)を毓(やしな)ふ。

と見えるように、「原野」(草深野)は狩の獲物(獣)の多い野であった。
 中国の天子の儀礼にならい、支配者として行う天皇の狩の弓弭の音を「聞く」ことを歌って、天皇の国土支配を祝った歌である。

(坂本信幸)

  • 植物の画像は、木田隆夫撮影、坂本信幸監修『万葉植物の歌鑑賞事典』(和泉書院、令和5年)よりカバノキ科のミズメ。
  • 万葉集に詠まれている「梓弓」については、正倉院宝物の梓弓の顕微鏡調査の結果からミズメと実証されて、定説となっている。(松山亮蔵『国文学に現れたる植物考』宝文館、明治44年)

 

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